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ブラック企業勤務から考える働く人のインサイト

こんにちは、ヒカルです!

 

今回は僕のマネージャー時代のお話から、そこで学んだ幸せに生きる為の働く論を書いていきます。

 

 

目次 

 

 

 

1.はじめに

これを読んでくださっている社会人の皆さん、今「働く」事を楽しんでいますか?

学生の皆さん、これから「働く」事を楽しみに思っていますか?

 

これに自信を持ってYesと答えられる方はここから下は読む必要はないかもしれません。

 

 

2.就職に至るまで

芸能プロダクションに就職しようと思った経緯についてはプロフィールに記載したが、実際かなり苦労した。

それは芸能プロダクションで新卒採用をやってるのは大手数社くらいしかなかったから。
しかも、自分のジャンルにあったところとなると更に絞られる。
某大手プロダクションに希望を残されつつ、1ヶ月後に選考落ちを知らされたり、プログラミングを学んできた僕にはマネージャーではなくコンテンツ制作部(アプリ開発など)に回って欲しいと言われたり、なかなか上手くいかなかった。

それから、学校の年上の友人からのアドバイスを受け、ダメ元で中途採用の募集をしているところに応募する事にした。

 

その時の応募条件がこれ↓↓
・運転免許ありで都内運転可
・即日勤務可

 

それに対して僕の状況↓↓
・運転免許なし
・学校は卒業させて欲しい

 

明らかに条件の対象外だったが、

学生期間中は無賃※でも良い。
学校終わりや休日は勤務可。
運転免許は夏休み中に合宿免許で取得する。
※実際は交通費+αくらいで勤務した

 

これを条件に働きたい熱い気持ちをぶつけた結果、社長との一発面接で合格して就職した。
(実際、芸能プロダクションへは運転免許さえあれば30歳頃までなら簡単に転職で入れるが、続けられるかどうかが問題だと実感している)

 

3.期待の新人

入って半年の間は、昼過ぎまで学校に通い、それから仕事現場に行き、夜遅くに帰宅という日々が続いた。
もちろん、大好きなゲームはほぼ全て封印した。
土日祝日も現場があれば出向いていたから中々忙しかったが、新人マネージャーに出来ることなんて少なかったから、ひたすら社長やタレントさんにくっついて勉強させていただいていて、その恵まれた環境にはただただ感謝していた。

 

CM、バラエティ、ドラマ、映画、アニメやゲームのアフレコ、ラジオ、トークショーなどのイベント、ライブ、レコーディング、ミュージカル、舞台etc...
一般的に"芸能"と呼ばれる仕事の現場にはほとんど行ったんじゃないかなと思う。

 

社長にもタレントさんにも気に入られ、期待の新人とされていた。
修学旅行の際にお小遣いを頂いたり、タレントさんにご飯に連れて行っていただいたこと、その時々で掛けていただいたマネージャーという仕事についての熱い言葉一生忘れはしない。

 

学校を卒業すると、今度は毎日のように仕事になった。
それでも、他社のマネージャー同期が出来たり、ようやく運転も出来るようになったりと、新しい仲間や任される仕事が増えてきた事が嬉しくて仕方がなかった。

 

4.地獄の始まり

しかしある時、自社の唯一のマネージャー同期が上司のパワハラが理由で体調を崩し、休職する知らせが入った。
これが地獄の始まりだった。

 

直属の部下を失ったパワハラ上司が今度は僕に目を向けてきた。
マネージャーのマネージャーとでも言うべき雑務飲み付き合いが増え、時間は減って出費だけが増えた。
この頃から少しずつ小さなミスが増え始め、担当のタレントさんのプライベートに不運が起きた事も相まって逆鱗に触れ、担当を外されてしまった。

 

そこからは大半の仕事が全員の雑用係になった。
信頼を取り戻そうと頑張ったが、非効率で理不尽な数の雑用(上司の"プライベート"飲みの送迎全番組の平均視聴率と主な制作スタッフを調べ上げて表にするなど)を完璧にこなす事は出来なかった。

 

 

5.仕事のやりがい

それでも、たまに行かせてもらった他のタレントさんたちの現場ではとても重宝された。
大事にしてくれるから恩返ししたいと思い、仕事の質が上がるから喜んでもらえるの好循環だった。
そのタレントさんたちのおかげで大好きなポケモンのアニメやゲームの現場に行かせてもらった事は一生の思い出だ。
タレントさんたちには今でも本当に感謝している。

 

しかし、マネージャーとしてやりがいのある日はそうは続かず「楽しそうに仕事をしている事が気に食わない」などの理由からパワハラは悪化。
「死ね」「バカ」「役立たず」「辞めちまえ」なんて毎日のように言われてきたし、自分でも「バカです」などと言わされてきた。

夜中の2時とか3時に電話が鳴っていきなり怒鳴りつけられる事は日常茶飯事で酷い時には暴力も振るわれた。

 

社内には仲間の先輩もいたが、パワハラ上司の地位は高く、終わる事はなかった。

意見を聞くだけ聞いてくれる上司には

「先輩方はもっと苦しい時代を生き抜いて来たのかもしれませんが、いい加減この悪い風習をどこかで断ち切らないといけないと思います!」

と抗議したが、結局最後まで何も変わらなかった。

※元同僚曰く、現在は環境も大きく改善されているとのこと

 

6.突然のクビ宣告

そしてある時、突然のクビ宣告を受ける。
元々会社と仕事が大好きだったから「いつか、いつかこの会社を変えてやる」の一心で働いてきたのが報われなかった事、それに社会的地位を失う事の恐怖に堪えられず、その夜は一晩中泣いた。
家族や親戚、友達やお世話になった方たちに会わせる顔がないし、いっそ死んでしまいたいと思ったが、僕は踏み切る事はなかった。

 

それから諸々あって「やっぱり残ってくれ」との提案ももらったが、先輩の一人の大人としてのアドバイスと、今後の人生を本気で考え直した結果、退職する道を選んだ。
退職したすぐ次の日の夜、先輩が極秘にタレントさん3人がいる場に呼んでくれ、皆さんが惜しみの言葉をかけてくださった事には、嬉しさと申し訳なさとで深々と頭を下げる事しか出来なかった。
この時、いつか必ず恩返しが出来る強い男になろうと決めた。

 

7.社会的体裁

会社を辞めてからも辛い追い打ちは待っていた。

 

辞めることを幼なじみたちに打ち明けたら、そのうちの東電で働く一人に

「お前は社会を舐めてる。したくもない事で土下座とかした事あるのか?そんなんじゃどこに行ってもやっていけないぞ」

と吐き捨てられた。

 

マネージャーとして就職した当初「プログラミングの学校からマネージャーに就職するとか後にも先にもないだろうけど、お前ならやってくれると思ってた」という旨の言葉を掛けてくれた学生時代の先生や先輩や友人が、Facebookで露骨に卒業生として取り合わなくなったり、「期待してたのに残念だよ」と言われたりした。

 

今思うと何故そんな環境で働き、そんな言葉を気にしているのかと疑問にすら思うが、

きっとブラック企業を抜け出せない人が本当に苦しいと感じているのは、辞めた後にも地獄が待っていると思ってしまうからなんだと思う。

 

実際のところ、辞めてすぐは苦渋を味わってきたが、冷静になると本当になんとでもなるし、勉強すると巻き返しを図る事も可能な事に気づく。

 

しかし、その辞めた後でも"なんとでもなる"の内容が分からない(会社に入って働く事が当たり前だと教育されてきた)からこそ、最悪、命を絶つ方法を選んでしまうんだと思う。

日本のブラック企業の問題は、もはや企業そのものにあるだけでなく、自立した考えを持つ事を推進されなかった日本の教育にも原因があり、その根は相当深いように思う。

 

8.新卒でクビという経験を経て

このような話をすると、日本社会に絶望ばかり感じてしまうかもしれないが、そんな事はないとハッキリと言いたい。
むしろ、未だに古い考えが残っているからこそチャンスとも考えられる。

 

また、ここまでの内容だと悪いのは会社であり社会であると感じるかもしれないが、それを享受してきた自分の責任であると今なら思える。

会社にあんな酷いことをされたのにと思うかもしれないが、僕は今でも当時勤めていた会社が、そこの社長が大好きだし、またいつか認められる男になって顔を出したいと思っている。

これは見返してやろうという復讐心から来るものではなく、今でも認められたいという気持ちが残っているからだと自分で認識している。

幼なじみや先生や先輩に言われた事が嫌だと感じたのも、その人たちにも認められたい気持ちがあるからだ。

どうでも良いと思う人からの言葉なら嫌だという気持ちすら湧かないはず。

 

ブラック企業というと勤務時間の意味での過酷さを取り上げられる事が多いが、好きでやってる仕事で、上司からも褒められ、期待されていたら、たとえ勤務時間が長くともブラック企業とは感じない可能性も大いにあるはずだ。

実際、元同期のマネージャーや、ゲームや映像などのクリエイターとして活躍している学生時代の友人を見てるとそう思う。

 

ブラック企業で戦ってる人たちのインサイトは働きたくないんじゃない。
認めて必要とされながら働きたいんだ!

 

人の社会で生きていく以上、完全に1人で生きていくのは実質不可能。

だからこそ、自らの社会での役割を感じながら楽しく働きたいと誰もが思っているんじゃないだろうか。

 

人が人を想う気持ちを取り戻せば、きっと多くのブラック企業問題が解決するはずだし、これを読んでくださった方は部下に優しくしたり、自らの強い意志の元に働いて欲しいと思う。

 

そして、本当に辛くなった時は逃げても良い。

仕事とは幸せに生きる為の"手段"でしかないのだから。

 

人生は思い立てばいつからでも巻き返せる!

自己紹介

こんにちは、ヒカルです!

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます!!

 

初めに、自分のプロフィールをまとめたのでご覧ください。

 

目次

1.簡単な自己紹介

  1-1.基本情報

  1-2.当ブログのテーマ

2.学生時代

  2-1.幼稚園まで

  2-2.小学校

  2-3.中学校

  2-4.高校

  2-5.専門学校

3.社会人

4.僕の夢

5.ブログを通じての想い

 

1.簡単な自己紹介

1-1.基本情報

名前:ヒカル
ゲームプレイヤー時のハンドルネーム:ライトニングいがらし

様々な名前で呼ばれるので、呼びやすいように呼んでもらえれば良いです。


出身;福島県にある会津北塩原村

現在、千葉県在住の25歳。
一人暮らしの独身です。

生まれは福島県北塩原村出身。

姉、兄、双子(僕が兄)の4人姉弟です。


仕事:コールセンター

コールセンターで安定収入を得つつ、その他様々な事をしています。


性格:明るく前向きだが、実はコンプレックスの塊。

基本的に負けず嫌いで挫けることはないが、褒められると照れながら喜びます(笑)


趣味:ゲーム(スマブラポケモン・パズドラなど)

スマブラポケモンに至っては大会出場を試みたり、趣味の域を超えて競技として取り組んでいます。

 

 

1-2.当ブログのテーマ

1.仕事(経済)
2.精神・マインド(オピニオン)
3.生きがい(楽しむという事)
4.健康(美容)
5.恋愛(結婚・セックス)

 

非常に拙い経験ではありますが、今までの経験の他、これから経験していく様々な経験を赤裸々に書いていきます。

 

 

2.学生時代

2-1.幼稚園まで

ゲームを始めたのは2歳の時。
両親が買い物などに出掛ける際に「お留守番しといてね」とゲーム機を預けられた事をキッカケにゲーマーとしてデビュー!!


初めは両親もおとなしくしてるから良いなと思っていたみたいだが、そのうち買い物などに連れて行く際も「ゲームやってる」と言うようになったらしい。

 

初めて触ったのはゲームボーイ(当時白黒画面の電池4本使用)『マリオランド』
それから『マリオランド2 6つの金貨』ポケットモンスター赤・緑などにハマり始める。


ファミコンこそ家には無かったものの、親戚のおじさんが僕たち兄弟の為にとスーパーファミコンスーパーマリオワールドをセットで買って来てくれた時は本当に喜んだのを覚えている。

 

 

2-2.小学校

そこに進むしかないレベルのど田舎なので、普通に"村立"小学校に入学。
全校生徒は約60人、1学年10人でクラスという概念がなく、高校に入って初めてクラスというものを知った。
村の過疎化が進み、現在は廃校。

 

小学校に入っても変わらずゲームに没頭していた。
1年生の終わり頃に発売されたニンテンドー64ニンテンドーオールスター大乱闘スマッシュブラザーズを兄貴が友達から借りてきてよりゲーマーとしての道を確かなものにしていく。
これが今もなお熱く盛り上がっている"スマブラ"との出会いだった。


初めこそ弱くて何をしてよいかも分からなかったものの、マリオルイージピカチュウカービィといったキャラクターはもちろん、
当時からサムスも好きで(ゲームボーイメトロイドⅡ』をプレイしていた)、そのキャラクターたちを自分で動かせることがただただ嬉しくてずっと遊んでいた。

 

4年生になるとゲームキューブ大乱闘スマッシュブラザーズDXも発売され、この時には地元の友達ととことんやりまくっていた。
家に帰っても双子の兄弟と戦える為、腕はどんどん上達し、次第に地元最強のスマッシュブラザーズ(実際に双子だから)になっていた。
まだネットが使えなかった当時、スマブラの攻略本を買って来て、自分のキャラクターのダメージ%や技の名前まで暗記していたのが懐かしい!

 

しかし、5年生になると後輩のいじめに加担してしまう。
この件は今でも申し訳なかったと思う。
(大人になるにつれて和解し、いじめっ子仲間も大人になっていった)

 

 

2-3.中学校

小学校と同じく全校生徒は約60人、二つの村立小学校が合わさって出来てる中学校に入学。

 

小学校のツケが回ってきたか、ヤンキーの先輩に目をつけられ、そこから逃れようとその先輩側についた同級生含め、通りすがりや部活の最中に殴られたりなど闇の学生生活を過ごす。
ただ、この時から小学校時代のバチが当たったと考えていた為、復讐心などは芽生えずひたすら耐えていた。

 

部活は男子が卓球部or剣道部、女子にだけバレー部も存在していた(人数少なすぎてチーム競技は設立がそもそも難しい)
僕はなんとなーくで卓球部に入り、なんとなーく過ごしていたが、1つ下の後輩の女の子(卓球がめっちゃ強い)に惹かれるも女の子への接し方がいかんせん分からん。。。
卓球で良いところを見せようと頑張るも、運動オンチで県大会にすら上がれなかった。

 

また、理由は忘れてしまったが中学時代はクラス全体を通して男女の交流がなく、甘酸っぱい青春など微塵のかけらもなかった。
それでも兄弟間ではスマブラをやり続けていた為、スマブラこそが僕の青春だと思っている。

 

 

2-4.高校

高校は地元の進学校に入学。


周りが市内の中学校から上がってきた人たちが多い中、同じ中学校からその高校に入ったのは自分を含めて4人だけ。
4人全員バラバラのクラスで完全にぼっちを決め込み、終わったと思った。

 

当時はこのままガリ勉一直線になるんだろうなと思ってゲームを引退することも考えていたが、
その時発売されたWii大乱闘スマッシュブラザーズXをたまたま友人の家でプレイさせてもらえるキッカケがあり、持っていないにも関わらず友人をボコボコにする。


この時、何故かスネークスマブラXに参戦したキャラクター)が弱いと言われ、「みんながそう言うなら俺がスネーク使う!」と言ってスネークを使い始めていた。
※実際、スネークは最低でも5本指に入る超強キャラ。

 

しかし、進学校でスマブラブームが長く続くはずもなく、勉強も運動も大したことない自分は目立たない存在になっていた。
当時何人か好きになった人もいたが、コミュ障オタクの僕は女の子にまともに声を掛けることも出来ず、無事童貞を守り抜いた←

 

それでも、数少ない親しい友人の告白を応援した事が高校時代では印象強く、あの時人を好きになるのってこういう感覚なのかなと思ったのを覚えている。
ファンキーモンキーベイビーズの『告白』を友人に聴かされて「恋愛ってええな」って思ったのが懐かしい。

 

 

2-5.専門学校

「ゲームが好きだからゲーム会社に就職する!!」
いかにも未熟な子供が考えそうな考えでゲームプログラミングが学べる専門学校に入学。


高校時代の反省を活かし、とにかく積極的に攻めて目立つことを意識して様々なことに取り組んだ。

 

クラス委員長への立候補、ASという1つにまとまって規模が拡大したサークルや生徒会的なものに参加し、ラジオ番組の制作や体験入学時のMCなどを経験。
卒業制作展においてもリーダーに選ばれるなど。
優秀な学生とは程遠かったにも関わらず、芸人ポジションでいろんな事に積極的にチャレンジし学内の知名度を上げていった。

 

クラス委員長の際は、不登校のクラスメイトの家に直接足を運んで話を聞いて学校に来れるようにしたり、ASではラジオ制作のリーダーを務めたりした。


それでも実際は、優秀な年上のクラスメイトに支えてもらったり、若い自分にいろいろ経験させてあげようといった配慮があって出来たことだったと思う。


2年に進級する際、3.11の東日本大震災が発生。
ここでお金が無く、ただ節電をして家に引きこもる事しか出来なかった自分の無力さを思い知る。
始めは自衛隊やレスキュー隊の方が現地で活躍されたと思うが、ラジオが聴けるようになってテレビが観れるようになると、
芸能人の方々が積極的にボランティアとして被災地に足を運び、被災された方々の心のケアをしている事を知った。

 

そこで、
「自分もいつかこんな風に誰かの役に立てる仕事がしたい!
 ゲームも心の支えになったりするけど、電気がない場所では遊ぶことさえ出来ないから。
 身体一つで人の役に立てる芸能界を目指そう!」

と決意。

 

ただ、歌も歌えず、ダンスも踊れず、演技が出来る訳でもない自分が今から芸能人になるのは無謀だと判断し、間接的にでも力になろうとタレントさんのマネージャーになる事を決めた。

 

プログラミングの専門学校から芸能プロダクションへの就職は異例中の異例で、
周りの先生からは猛反発をくらったけど、自分の気持ちに嘘をつくことは出来ない。
親にも謝り、独自の路線で芸能に繋がりそうな人にアポを取り、そこで一緒にAKB48の当時のメンバーさんを起用したラジオ番組の制作に関わったり、その他、芸能に繋がりそうな事なら積極的に飛び込んだ。

 

この時に出会った同世代で当時ジャニーズJr.として活躍していた男性が今でも尊敬する一番の親友で、一緒に活動していた女性が初めて心の底から大好きになって、振られた今では憧れの存在になっていたりする。
2人とも年下なのにとてもしっかりしていて、本気で取り組んでいたからこそそんな気持ちも芽生えたのかもしれない。

 

厳しい就職活動にはなったが、この時の頑張りが実を結び、なんとか芸能プロダクションへの就職を決めた。

 

 

3.社会人

新卒時代から現在までに様々な仕事・ボランティアをしてきました。

 

1.芸能プロダクションマネージャー
2.千葉県議会選挙のスタッフ
3.携帯販売のキャンペーンスタッフ
4.ソーダマシンの販売スタッフ
5.コンビニ(夜勤)
6.スマホアクセサリーの販売会社での事務
7.スキンケアアドバイザー
8.コールセンター(夜勤)

 

新卒で初めて入ったのが有名な方もいらっしゃる某芸能プロダクション。
ここでの経験がとても大きく、現在の僕を支えてくださる人との出会いや考え方の土台を作るキッカケにもなっています。
このお話はとても長くなるので、また別記事で書いていきます。

 

 

4.僕の夢

より経済力をつけて自由な生活を手に入れたい!
そして、困った人がいた時にちゃんと力になれる自分でいたい!!

 

就職するんじゃなくて、自分でしっかりと稼ぐ手段を身に付け、そのノウハウを共有したり、時には直接的に支援したり出来るようにしたい。

 

お金が全てな訳ではないけど、より多くの人が少なくともお金の悩みをしなくても良いような社会づくりに貢献したいとも思っています。


人生は自分の選択で決まるから、誰かにしてもらえる事とか、してあげられる事は限りがあるけど、自分で稼いで幸せを掴もうと決意した人と励ましあいながらやっていきたいです。

 

 

5.ブログを通じての想い

こうしてちゃんとブログを書くのは初めてだし、きっと読みにくい事もたくさんあると思います。

 

ただ、これからの経験でブログと自分を一緒に成長させていきます。
今まで失敗続きの人生だったけど、そこから学んだことも多いし、全ての事に意味があると思って感謝しています。

 

成功体験だけを見せつけてかっこよくいられるのも良いかもしれないけど、
コンプレックスや失敗は誰かの役に立つし、成功を目指す過程で出会う泥臭さや恥ずかしいところも晒しつつ、
「こんな奴でも成功出来るなら、自分もやれるじゃん!」と思ってもらえれば嬉しいです。

 

僕はこのブログを通して、


人は何歳になっても、どんな状況でも、諦めずに努力をし続ければ夢は叶う。


それを証明したい!

 

人それぞれにある夢が叶って、結果として幸せに生きられるように。
そのお役に立てる物や情報や考え方などを吸収し提供出来たらなと思っています。

 

よろしくお願いします!!